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いつのまにかチベットのあるところに [チベット]

 ぼくはチベット仏教の研究、特にその論理学的・哲学的側面の研究を専門にしている。仏教にもいろいろあるし、もちろん哲学にもいろんな地域のものがあるが、どうしてチベットなのだろうか。

 こういうことを専門とするようになるには、たいていの場合、様々な偶然の出来事が重なって、気付いたときにはこれを専門にしてた、ということが多いはずだ。しかし、チベットをやっていると、こうなったについては、前世の因縁があったのではないかと思うようになったりする。たとえば、ぼくの前世は鳥で(オカメインコだったかもしれない)、中国に追われてインドに亡命する前のチベットの高僧が、仏教の論理学を講義していたのを、いつも、僧院の窓越しに聞いていたのかもしれない。そして来世はきっと人間に生まれて、この精緻で広大なチベット仏教の哲学を学びたいと祈願していたのかもしれない。

 確かに偶然なのだろうけれど、ぼくとチベットとの関わりは、何か特別な力によっていろいろなものが自然に一つの焦点に集められていったようなところがある。好きだからやっている、というのではなく、気付いてみたら、チベットに関係するところに自然と動かされて行ったという感じだ。

 ぼくは大学では哲学、大学院ではインド仏教論理学を研究していた。確かにチベット語を勉強はしていたが、チベット仏教を研究しようと思っていたわけではない。それが大学院博士課程の2年のときに、東洋文庫のチベット研究室というところにたまたま研究員のポストができた。無人研究室だったチベット研究室を、「このままではいけない」と当時の東洋文庫長榎一雄先生(東洋史の大先生である。)の号令で突然ポストが用意され、停滞していた研究室の研究事業を立て直すことになったのである。榎先生は、チベットが専門ではないにもかかわらず、どういう訳か、チベットにかける熱い思いを持っておられたのである。

 東洋文庫というのは、豊富なチベット文献を所蔵していることで世界的にも有名な研究所である。世界中のどこに行ってもチベット学者で "Toyo Bunko" を知らない人はいなかった。そこでぼくは、10数年、チベット語の文献に囲まれて研究事業をすることになったのである。

 東洋文庫とチベットは深い絆で結ばれていた。1902年、日本人で始めてチベットの首都ラサに潜入した河口慧海師が持ち帰ったチベット語仏典は東洋文庫に収められた。河口師は晩年、東洋文庫に部屋を持ち、チベット語辞典の編纂に精魂を傾けたが、その事業が後のチベット研究室の基礎になった。また亡命チベット人を支援するため、世界各国の研究機関がチベット人学僧を研究員に採用するプロジェクトが行われたが、日本では東洋文庫がその受け入れ機関になった。その時の中心になったのは、これも河口師に次いでチベットに入り、10年間もチベットの僧院でチベット僧と同じ勉学と修行をしてきた多田等観師だった。以来、東洋文庫では常に何人かのチベット人を研究員に迎え、共同研究をしてきた。

 ぼくは学問上の先生と呼べる人はほとんどいないのだが、ただひとり、東洋文庫に来ていた亡命チベット人の高僧ゲシェー・テンパゲルツェン師には、チベット仏教の哲学を教えてもらった。チベットの学問、特に論理学は、書かれたものを読んでいるだけでは、決して理解することはできない。直接、師に教えてもらわないと分からないのだ。チベット論理学の伝統の何十分の一かは、テンパゲルツェン師からぼくへと伝えられ、そして日本に種が蒔かれることになったのである。こんな機会はそうあるものではない。

 ぼくの妻との最初の出会いも、実は東洋文庫で催されたチベット人研究員の帰国パーティでの席上だった(ということは後になって分かったことで、その当時はお互いを認識していなかった)。その後、早稲田大学の大学院生でチベット史を研究していた彼女は、東洋文庫でアルバイトをするようになり、そのうちに一緒に共同研究をするようになった。東洋文庫でチベット研究室の研究事業をし、家に帰ってもチベット研究を一緒にやった。いまでは、それぞれ別の分野でチベットを研究しているが、それでもチベットの話題が出ない日はない。

 日本チベット学会という世界で最も古いチベット学会がある。その事務局が長いこと東洋文庫のチベット研究室に置かれ、学会長は当時の東洋文庫理事長北村甫先生が務めていた。その北村先生とぼくは二人三脚でチベット研究室や東洋文庫自体の事業を進めてきた。その北村先生が高齢のため東洋文庫の理事長を辞め、学会長も当時の大谷大学の学長小川一乗先生にお譲りし、ついでに事務局もこちらの真宗総合研究所に移した。大谷大学も東洋文庫に負けず劣らずチベットとの深い絆を持った大学であった(そのことは別の機会にこの『広報』で書いたことがある)。一方、新しい東洋文庫理事長の下でチベット研究事業は継続されないことになった。学会事務局を大谷に移した1年前には夢にも思わなかったのが、1年後にぼくも後を追いかけるように大谷大学に移動することになった。

 こうして全ては偶然の重なりであるのだが、ぼくは自分で求めたわけでもないのに、いつのまにかチベットのあるところに動かされてきた。やはり、前世の祈願が成就したということなのだろう。

(* 『大谷大学広報』2004冬(No.160)「学問のしおり」を改稿)


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