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インド論理学研究会の思い出 [雑感]

 もう30年ほど前になる。大学の前にいくつもある喫茶店の一つ「アルマート・タムラ」に集まり、小さな机を囲んで三人の若い研究者が仏教論理学の読書会をしていた。今となっては、毎週だったのか、月に一度だったのかも忘れてしまったし、一体どういう経緯でその三人が集まったのかも忘れてしまった。僕の他は、先輩であった松本史朗さんと金沢篤さんの二人である。お二人とも現在は駒澤大学教授であるが、当時、松本さんは大学院を卒業されて駒澤大学に講師として赴任された頃、金沢さんはまだ博士課程に入りたてくらいであっただろうか。僕は修士の2年であった。

 そのテキストは、インドの仏教論理学を大成したダルマキールティという大論理学者の最初の主著であった。その難解な思想を初めて詩とその注釈として著したもので、論理学者らしい、極めて簡潔、しかも論理的に必要十分な表現を駆使したものだった。したがって、散文の注釈であるにもかかわらず、その意味を理解することも、日本語に訳すことも困難を極めた。

 そのテキストを読みたいと提案したのは松本さんだった。当時、世界の仏教学研究を牽引していた(今でもそうだが)ウィーン大学のシュタインケルナー教授の論理学の論文がおかしなことを言っている、それは間違っているように思われるので、ダルマキールティのその部分を丁寧に読むことで批判の論文を書きたいということだった。

 つまりわれわれは松本さんが1年後くらいだったかに論文を書く、その研究の過程に付き合わせていただいたことになる。それはとても刺激的であり、また修士2年の僕にはとても勉強になった。その三人は、論理学についての共通の方向性を共有するようになったが、それは他の多くの研究者とはかなり異質なものであった。話が通じないくらいに違っていた。その距離は未だに縮まってはいない。

 そのダルマキールティのテキストはあまりにも難解なので注釈を参照する必要があったが、当時の東京には、どこを探しても、その戦時中にインドで出版された注釈書はなかった。そこで既に仏教論理学の研究が始まっていた京都大学にいらした赤松明彦さんに連絡をしたところ、服部正明先生(既に服部先生はディグナーガの研究をアメリカで出版されていた。)の蔵書のコピーを頂くことができた。松本さんがそれを京都まで取りに行ってきた。これが東京に仏教論理学の灯のともった最初である。あるいは、仏教論理学の基本テキストが伝来した最初である。今からは信じられないような時代であった。

 そのころ僕は修士論文のテーマを考えており、松本さんにチベットで書くか論理学で書くか迷っていると相談した。松本さんはチベット仏教の研究についても大学院時代からわれわれをリードしていたのである。松本さんは、自分だったら、このダルマキールティの難解なテキストを勉強する、その方が最初からチベットをやるよりもずっと勉強になる、とアドバイスしてくれた。僕はそれに従って、修士論文では、読書会で最初の3ページしか読めなかったテキストを少なくとも半分くらいは読み進めて論文を書いた。博士課程に進学してから、そこで得た解釈を二つの短い論文(各々4ページだった。)とそのしばらく後にもう一つのやや長めの論文に書いた。三つ書きはしたが、言いたいことはいつも同じで、ただ表現を変えて言っているだけであった。

 松本さんの論文の完成を機に読書会が終息に向かっていた頃、その読書会を「インド論理学研究会」と、いつからとはなしに呼ぶようになった。さらには『インド論理学研究』という雑誌も出そうという話もあった。しかし、読書会が消滅したあと、その研究会も雑誌も幻のものとなってしまった。

 なぜ、突然こんな昔話を始めたかというと、今年、松本さんが還暦を迎え、その記念として金沢さんが発案して『インド論理学研究』を創刊することになったのである。それがつい最近出来上がって手元に届いた。そこに当時話題になった懐かしいテーマについて、金沢さんが再度検討した論文が掲載されていた。その後のダルマキールティ研究の進展にも拘わらず、当時の理解を超えていないことを指摘するものであった。また当時の思い出を綴った松本さんの文章もあった。そこで、30年前に時間が戻ったような、突然頭の中が若返ったような感傷が呼び覚まされたのである。

 松本さんが還暦を迎えられるということ、そしてその論文が発表されたのが1981年だったということを考えると、その当時の松本さんは30歳になるかならないかであり、僕は23か24、金沢さんは25か26ということだったのだろう。僕がやはり20代後半から30歳頃まで発表した、その成果の論文は極めて短いものであったし、あたかも数学か論理学の本のように、極めて簡略な文章、推論のみが連ねられたような論文であった。そのため多くの人には理解されなかったようである。ダルマキールティの文章を読み、論理的に考えれば、分かるはずという若者の奢りがあったのかも知れない。しかし、その内容に不十分な点はあるにせよ、僕の理解は間違っていないと今でも思っているし、それを多くの研究者は理解していないことも知っている。しかし、その後のダルマキールティ研究の進展を考えた場合、ふたたびその点だけをテーマに論文を書くわけにも行かず、そのままに放置していた。

 金沢さんの論文は、当時のわれわれ三人の論文を、その後の同じテーマの論文と比較しながら、ダルマキールティの理解が進展するどころか、退歩している現状を批判する内容のものである。僕は埋もれてしまった自分の研究がふたたび取り上げられているのを見て、やはりまた別の感傷に浸ったのであった。

 その後は三人とも別々の研究領域でそれぞれの成果を上げてきた。僕は、『インド論理学研究』という名前に恥じないような、インド仏教論理学を扱えるだけの準備はなかったので、チベット論理学についての論文を書いた。ただ、その当時仕込んだ知識や理解は、今、論理学を研究する学生を指導するときの基礎になっている。もちろん、学生は先生の言うままに研究するとは限らないし、それでは独り立ちした研究はできない。しかし、その出発点において、論理的な思考と、その論理的な思考を極限まで突き詰めたダルマキールティの文章の読み方を習っておくことと、ぼんやりした意識でその同じ文章を読み始めるのとでは雲泥の差があるはずである。

 ダルマキールティの魅力については、また別の機会に書きたいと思う。彼がどんな文章を書いていたのか、それを読むと言うことがどういうことなのか。きっとブログには相応しくない内容になるかもしれないが。

 この『インド論理学研究』は会費などで刊行されるのではなく、市販の雑誌であり、できるだけ販売できることが好ましいという。9000円という、やや高価なものではあるが、図書館や研究所など公共の機関ではできるだけ購入してほしい。その願いを込めてここに目次のPDFを置いておこう。またインド論理学研究会のWebサイト(ブログ)も立ち上げられので、それも紹介しておきたい。
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コメント 3

hagakure.kazehikaru@gmail.com

はじめまして。
突然で申し訳ないですがチベット仏教について質問があります。

チベット仏教において、
ダライラマ→観音菩薩の化身
清代における清朝皇帝→文殊菩薩の化身
であり、ここで至上の存在である如来ではなく菩薩の化身とされるのは、輪廻から解脱した如来が俗世に現れないことから理解できます。

しかし他方でパンチェンラマは阿弥陀如来の化身とされています。さらにパンチェンラマは少なくとも政治的な意味ではダライラマの次に位置する存在であり、如来の上に菩薩が位置するという構図になっています。

これはチベット仏教の中では菩薩と如来の間に上下関係という概念がないことから成立しているのでしょうか?

また如来の役割は
薬師→前世
釈迦→現世
阿弥陀→来世
と分けられており、阿弥陀は来世で幸せになれるよう人間を導いてくれる存在だと高校時代に習ったのですが、パンチェンラマの役割にもそのような側面は認められるのでしょうか?

突然の質問、失礼いたしました。
by hagakure.kazehikaru@gmail.com (2010-11-27 03:17) 

yfukuda

そもそも観音菩薩や文殊菩薩も化身です。化身とは、真理の存在である仏が、衆生を済度するために我々に見える姿になって現れたものです。ですから、この「の」は観音菩薩という化身の一人がダライ・ラマ法王としてチベットの地に現れたもの、という意味でしょう。

阿弥陀如来は、化身というよりは、浄土で菩薩に法を説いている報身ですが、これも衆生を済度するためには化身となって現れます。ただ、最初、パンチェン・ラマ1世がダライ・ラマ5世の先生であったので、阿弥陀仏の化身とされたという由来があるそうです。
by yfukuda (2010-11-29 02:34) 

NO NAME

ありがとうございます!
by NO NAME (2010-11-29 03:31) 

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